私の窯の南側には、雑木林があります。
林といっても小さな雑木林で、周囲を囲むように200メートル足らずの散歩道があります。この林は好きなだけではなく、私にとってとても大切な場所になっているのです。
今年の2月の最後の日は、雨になリました。例年ならば、2月も3月もまだ雪を心配する季節というのに、雨に濡れた木々の表情はどこか微笑んでいるかのようにさえ見えました。
その2、3日前には昼前に、十数羽の野鳥のヤマガラが群れ飛んで来て、正に春の到来を感じさせる情景でした。
このように、雑木林は季節の移ろいを感じさせる一方、私にとっては生きて行く上での師でもあると思っています。生活する上での問題や制作上の行き詰まりなど、困難に直面した時にはいつも、この雑木林に立って考えます。
木々を見ます。草を見ます。空を見上げます。そして、今何をすれば良いか考えます。少しずつ雑念が去って行くような気持ちになります。
すっくと天空に伸びた木々の、針金のような細い枝が、老いさらばえた様な草が、私の悩みを汲み取り進むべき道を教示してくれるのです。
2011年3月の東日本大震災の時もそうでした。地震で無残な姿になった窯の前に立って私は愕然としました。その夜もまた、この雑木林の中に立って考え天空に輝く月を見つめました。いつもと変わらぬ煌々と輝く月でした。しかし、いつものように心に沁み入る美しい月ではありませんでした。
そして、その年の夏に窯を修理して、制作に取り掛かり、陶板画「刺す月」を作りました。「刺す月」は2018年大阪での展示会で、大阪府知事賞を得、その後スペインのトレドでも多くの人々に見て頂きました。
このように、雑木林は心の中の母親のようである一方、生き方を厳しく教え導く父親のような場所なのです。
間も無く本当の春がやって来て、草草が目を覚まし、木々の芽がピンク色から柔らかな黄緑色に変わる春の連休中には、今年も「林間作陶展」を開催しようと思っています。